ぱちんこ回想記   第9玉 人生初のセブン機初打ちは…。

こんばんは。4月26日午前3時31分。今日も私は生きている。私の今までの人生の中で、亡くなって一番に悲しく感じた人が亡くなる前に私にこう言っていた。

「俺はもう少しで死ぬ。人間死を宣告されたあたりから独り身は凄く孤独を感じるようになる」と。

最近、寝て起きる度に「あー今日も生きてるなー」と独り言を言う。一人暮らしだから寝たまま死んでいても誰も気づかないだろうし、死んで発見されるのは数日経過してからであろう。突然死んで困るのは残されたパチンコ台だけ。私のどうしても他人の手に行って欲しくないコレクション台は、現在高校生である甥っ子に託される事になっている。

こう考えていると46年よく生きてきたなと。今年誕生日を迎える事が出来れば47歳。欲を言えば50歳までは生きたい。誰にも話してないが最後にやる事が1つある。これはどうしても達成してから死にたい。病んでる訳ではありません(笑)

翌日、部活をサボる。朝一とは言わない時間に、自転車でカッ飛んで隣町の「ナンポーパチンコ」へ。今考えればその道を自転車で走る私の姿を知ってる人が見れば、あいつ何処に行くんだろう?と不審がられる事間違いなし。

そのくらい自転車では走らない道路。車の交通量は多し。カッ飛んで10分ちょっとで到着。コツコツとレジからくすねた種銭を持ってイザ入店。パチスロコーナーとパチンココーナーのちょうど間から入店して、何となく視界に入って来たのが、パチスロ台のパネルに大きく描かれてある数字「412」だった。

そう。パル工業の「ペガサス412」。打ったのは結局後の話だが、初めて412をパッと見た時のインパクトは絶大だった。

「スロットマシーンかー」とぱちんこから、スロットに心が動きそうになった時に、ぱちんこコーナーから、大当たり中の音が聴こえて来た。その音が私の脳みそをこれでもかというくらい刺激した。

その音に吸い寄せられるようにぱちんこの島に歩み寄ると、そこに設置されていたのは三共の「フィーバーレクサスV」(1989年登場)だった。今まで打った数百数千機種の中で一番好きな大当たり中の音でもある。



あれだけ羽根物が好きだった私が、一度店内の設置機種を確認せず、両替機に向かったのも初めてだった。それくらい「音」に魅かれた。

くすねた千円札を百円玉に両替してレクサスに着席。そしてセル盤を見回すと、アタッカー両脇の釘が、ぱちんこ始めたばかりの中学生にも分かるくらいにひん曲がっている。そのひん曲がり釘が一般入賞口へと誘導しているのが分かる。



「おいおい。これ打てば当たらなくても、玉増えるんじゃねーか?」

そう思ったのが第一印象だった(笑)。そして人生初のセブン機を打ち始めてみると、世の中そんな甘い話はない。そのひん曲がった所に玉が寄らない。では一体何のためにこうなってるんだろう? そんな事を考えながら隣の空台のレクサスを見ても、ひん曲がりの形は一緒。益々謎が深まる。

「ひょっとしたら! マグレでここに入ったら当たり!とか!」と妄想していたくらいだ。

ドラムの図柄を見ると、アラビア調デザイン。以前打ったマジカペを思い出すと、三共はアラビア系が好きなんだろうか? なんて考えてもいた。

そう考えながら淡々と打つ。そして全然回らない。回転数なんて勿論気にしてもないし数えてもない。

ただ羽根物打つ以上に、玉がなくなるのが早い。それが段々と怖くなってきた。そしてレジからくすねたお金の事を思い出すと、打っていて段々と気分が悪くなってきた。

申し訳ないとの気持ちと親の顔が脳裏に浮かんでくる。なんかボーっとして打っていた記憶が凄くある。楽しかったぱちんこが初めてつまらなく感じた日でもあった。簡単に5000円がなくなる。数回リーチがかかったが、全然かすりもしないようなハズレ方で興奮すらしない。

大当たり確率1/205、賞球数7&13、保留玉連荘機

この時は大当たり確率すら知らないで打っていたが、後に知った時には甘さに吃驚した。金銭感覚が狂ってる怖いもの知らずの12歳はガンガン100円をサンドに投入する。そして気づいたら1万円が消滅していた。

1つの事に夢中になると、それしか見えなくなる性格の私は、金が尽きるまで打とうと考えた。残り5000円…。徐々に手のひらに変な汗が出る。そしてここら辺でリーチがかかって、惜しくも1コマずれでハズレて初めて上皿(台)を叩いた。

「惜しい! 凄く惜しかった! もう少しで当たりだったのに!」

抽選方法なんて分からないうちが一番興奮するものである(笑)。残り3000円切ったあたり、諦めかけていた時の右上がりラインでのSANKYO図柄でリーチ。どうせ当たらないだろうと半分ふてくされていた私は、タバコを咥えてよそ見していたら何と当たってしまった。

人生初のセブン機の当たりの瞬間を見逃してしまったのである。右上がりに揃っている図柄を見て、とてもガッカリしたのを凄く覚えている。

大当たりがスタートした。ホールに入ってすぐに耳にした先程の音が流れる。やっぱり何度聴いても、何と言っていいか分からないが、凄く聴き入ってしまう。

アタッカーが開いて玉が入っていくのを見ていたら、アタッカーからこぼれた玉が脇のひん曲がった釘を経由して賞球口に入って行くのを見た。ボロボロと入る玉の動きを見ると、アタッカーが開く事によって誘導される事に気がついた。

「おまけチャッカー」

1981年に30秒10ラウンド規制。84年に10カウント規制が入り出玉が1300個となった事でフィーバー(セブン機)人気が低迷したと言われている。

そこで、ぱちんこの天才は、普通機のチューリップ台の釘を調整する事によって、1発台に変化させて使用する方法を編み出した。セブン機でその釘曲げを応用。少ない出玉+αで2000個以上の出玉を得られることで、このおまけチャッカーはセブン機人気低迷から救ったと言われている(間違えていたらすいません)。

気持ちよくアタッカーとおまけに玉がボロボロと入る。気になっていたVゾーンにも1ラウンドに1つずつ入りラウンド継続。出玉の払い出しスピードが羽根物しか打った事のない私からすると、恐ろしく早く感じた。そして勝手に大当たりは8ラウンドで終わりと思っていた私。9ラウンド目が始まるとまた驚いた。

何ラウンドまで続くんだ?と思っていたら10ラウンドで終わった。1回当たったから満足してすぐに交換しようと、玉を全部下皿に流していた矢先の保留1つ目でリーチ。今度は右上がりラインでBAR図柄テンパイ。そんなに簡単に当たんねーよと見ていたらあっさり揃って当たり!

「えーーーーーーーー! 1回転で当たった! 俺は天才だー!」と内心叫んでいた。

保留連荘機という言葉も勿論知らない。当たり難い確率を1回転でまた当てたと思い込んでいた。そして、2回目の大当たりがスタートする。先程同様アタッカーとおまけにボロボロと入るのを見ながら興奮していた。

凄く顔が熱くなり、玉を触る手には汗をかき、タバコを吸う手は震えていた。あっという間にドル箱2つ。そしてまた保留1つ目でリーチ。まさかな…と半笑いしながら見ていたら、呆気なく図柄が3つ揃う。

「嘘だろ!? 夢でも見てんのか? また1回転で! それとも台が故障したのか?」

宝くじが当たったような気分に陥った。レクサスの大当たり中の音が脳内録音されていく。
そして、また意識が遠のくように、ぱちんこ台から出る音と自分の胸の鼓動しか聴こえなくなっていく。

結果3連チャンで終了。最後はリーチもかからずで、すぐに出玉をカウンター前のジェットで流して文鎮にする。

両替所で15000円もらって再び店内へ。忘れていた羽根物コーナーへ。覗くと「ビックシューター」(平和)と「おじょーずランド」(西陣)が設置されていた。




レクサスで少しだけ+になってる分だけ楽しんで帰ろうと考えて両替に。

すぐに帰ればよかったものの、羽根物を打つ事によって夏休み1発目の修羅場が訪れる事になる。

つづく

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🔗 元記事を読む(パチンコ日報)