4号機の栄光とその後。メーカー営業が直面した残酷な現実

Aさんは20代をホールスタッフとして働いた後、2002年にホールの近くに新設されたスロットメーカーの営業所へ転職した。

時代は4号機全盛期。スロットが業界を牽引し始めたタイミングである。それまで鳴かず飛ばずのそのメーカーも、1機種で20万台以上販売したヒット機を連発し、一気にスターダムへと駆け上がった。営業所は全国へ拡大し、人手はいくらあっても足りない。まさにヒット機はカネを生む打ち出の小槌だった。

当時の営業には強烈なインセンティブがあった。基本給に加え、1台売るごとに1万~1万5000円が上乗せされる。1店舗で20台ボックス買いは当たり前。売れ筋機種を担当すれば収入は跳ね上がり、Aさんの年収はすぐにホール時代の倍以上に膨らんだ。元同僚からは「勝ち組」と羨望の目で見られ、メーカー営業は憧れの職種となっていた。

しかし、そんないい時代は長く続くものではない。スロット業界はその後浮沈を繰り返した。

時代は流れ、Aさんが50歳を過ぎた頃、ついにその日がやってきた。大手メーカーが大胆なリストラを発表して世間を驚かせたが、Aさんの会社も粛々とリストラを断行していて、Aさんも対象となった。

退職から1年、失業保険で何とか生活をつないできたが、それも底を尽きかけている。再就職先は決まらず、やむなくホール時代の知人に助けを求めることになった。

その過程で明らかになったのが、メーカーの厳しい懐事情である。かつて1万円以上あったインセンティブは、今や10分の1の1000円程度にまで縮小していた。ホールの軒数が減れば、当然ながら販売台数も落ち込む。会社から暗に告げられたのは「ホールが減少する分、営業も不要になる」という現実だった。

1機種あたり数千台しか売れない現状では、人員整理は避けられない。とはいえ、開発部門に手を付ければメーカーとしての根幹が揺らぐ。結果として、真っ先に削られるのは営業職になる。

かつては花形だったポジションが、いまや調整弁として扱われているのだ。

過去の成功体験にしがみついても道は開けない。Aさんはゼロからの再出発を迫られている。しかし、50歳を超えてからの選択肢は限られる。学歴や職歴を問わず受け入れてくれる仕事として勧められたのが、タクシー業界だった。

4号機時代の栄光は確かに存在した。だが、その成功が大きかった分だけ、反動もまた大きい。Aさんの歩みは、パチスロ業界そのものの縮図と言えるのかもしれない。

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🔗 元記事を読む(パチンコ日報)