ドンキは世界へ、パチンコは縮小へ。明暗が分かれた理由
今日もドン・キホーテのCMが流れている。
かつて、 ドンキ は「危ない店」の象徴だった。
圧縮陳列で商品は天井近くまで積み上がり、通路は狭い。
「火事になったら逃げられない」と批判され、実際に2004年には放火火災で死者を出し、企業存続すら危ぶまれた。
一方、その頃のパチンコ業界はどうだったか。
市場規模は30兆円産業とも言われ、地方都市では駅前一等地に巨大ホールが乱立。毎日大量の現金が動き、「最強の内需産業」として君臨していた。
当時の格で言えば、
ドンキ < パチンコだった。ドンキと提携してドンキの景品のみで運営するホールも出現したが、軌道に乗ることはなかった。
で、20年後、立場は完全に逆転する。
ドンキは訪日外国人が必ず立ち寄る「日本観光の定番」となり、アジアやアメリカにも進出。グループ売上は2兆円越え規模に成長した。
対するパチンコ業界は、遊技人口も店舗数も減少し、「衰退産業」として語られる存在へ転落した。
なぜ、ここまで差が開いたのか。
その理由の一つが、「現場にどこまで権限を与えたか」にある。
ドンキは創業当初から徹底した現場主義だった。
店長に大きな裁量権を与え、商品の仕入れも売場づくりも地域特性に合わせて自由に決められる。
「これは売れる」
そう思えば店長判断で大量仕入れもできる。逆に売れなければ即撤去。本部は細かく口を出さない。
だから各店舗が「個店経営」として競い合い、店長たちは自分の店を伸ばすことに執念を燃やした。
つまり、ドンキは現場が主役の会社だった。
その結果、新宿のドンキと地方のドンキでは、品揃えも雰囲気も全く違う。「何があるか分からない」というワクワク感が、客を惹きつけた。
さらにドンキは、「雑多さ」を時代に合わせて進化させた。
インバウンド需要が来れば外国人向け商品を強化し、SNS時代になれば「映える店」へ変貌。PB商品やアプリ戦略も積極的に展開した。
つまり、安売り店のままで止まらなかった。
一方、パチンコ業界はどうだったか。
チェーン化が進むにつれ、本社一元管理が強化された。
新台導入、営業方針、広告、設定配分…。現場店長の裁量は年々小さくなり、全国どこへ行っても似たような店ばかりになった。
昔は「名物店長」がいた。
釘調整や営業センスで店を繁盛させる店長が存在した。
しかし今は、本社が決めた数字を現場が実行するだけ。「考える店長」ではなく、「管理される店長」へ変わってしまった。
しかも業界は、規制が強くなるたびに「警察が厳しい」「風営法がある」と思考停止していった。
しかし、ドンキだって決して自由な業界ではない。
消防法、景表法、建築基準法など、規制の中で工夫を重ねてきた。
違いは、「規制の中でどう変わるか」を考えたか、「規制を理由に変わることを止めたか」だ。
さらに決定的だったのは、客層を広げたかどうか、だ。
ドンキはヤンキー、若者、主婦、外国人、ファミリー層まで取り込んだ。
一方、パチンコは遊技人口が減る中でも、射幸性を高め、今いる客からどう回収するかへ向かっていった。
ドンキが「新しい客」を探し続けたのに対し、パチンコは「残った客」に依存した。
この差は大きい。
かつてはパチンコ業界の方が遥かに儲かっていた。
しかし、「現場の熱量」を武器に変化し続けた企業と、過去の成功体験に縛られた業界では、20年後にここまで差がつくということだ。
今のドンキには、現場の欲望と熱気がある。
だが、今のホールにあるのは、本社が作った「無難な正解」ばかりなのかも知れない。
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🔗 元記事を読む(パチンコ日報)